イマージュの経験 ――バタイユ『先史時代の絵画 ラスコー芸術の誕生』読書ノート③
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吉田裕
イマージュの経験 ――バタイユ『先史時代の絵画 ラスコー芸術の誕生』
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イマージュの経験 ――バタイユ『先史時代の絵画 ラスコー芸術の誕生』読書ノート②
子供のどろんこ遊びのような振る舞いの中から、描くという行為が生まれ、その描線が何がしかのかたちを為すまで成長する
このプロセスを捉えるバタイユの叙述は、同時に、より掘り下げた方向への理解を促しているように思える
ふたつの問い
①以上のプロセスのはじまりに置かれたマカロニから複数の描線の錯綜へという様相は、なぜ起こるのだろう
②このプロセスは最後にシルエットの出現というところで完了するのだろうか
①以上のプロセスのはじまりに置かれたマカロニから複数の描線の錯綜へという様相は、なぜ起こるのだろう
まず、バタイユは芸術は遊びと言ったが、「遊び」とはなんだろう?
遊びは「労働」の反対側にある
人間のかたちをした動物は、自然から出て、自然に働きかけ変容させること――労働――によって、人間である世界を作り始める
反面で、自然という分離以前の充実した世界へ帰りたいという欲望を持つ
労働が生み出した価値を解消するために意味なく消費することであり、それは遊びとして実現される(非生産的消費)
ばる.iconこの辺は①でも述べられた
ここを突き詰めて考えると、
生産の反対としての「遊び」をより集約するなら、見出されるのは、できあがったものを無に帰する行為としての「破壊」である
ばる.icon確かに生産性や有用性の逆を追求するならば、破壊が出現してくる
この過程はさらに進められると、労働の結果として形成された人間を対象とすることになって、すなわち「殺害」となる
その中で根本的な役割を果たすものとして「死」が浮上してくる、というのがバタイユの考えていたことに違いない
遊びの中には、遠くはあれ死の経験が含まれているということだ。そして芸術が遊びであるなら、そこには死の経験が作用しているとバタイユは考えていただろう
では芸術の中に、死はどのように作用して来るのか?
問題が死という形態にまで煮詰められたとき、そこにある難問が生じる。それは死は不可能だという逆説である
ある主体にとってもっとも大きく無意味な消費は、主体自身の破壊すなわち死である
ばる.iconこの辺、トーマの心臓を思い出すんだよな...
死はその経験の担い手である主体の消滅をもたらすために、死の経験というのは主体にとっては成立せず、実は誰にとっても享受され得ない
死は経験とはなり得ない
では人間は何を死の経験と考えたかというと、死を見ることをその経験であると見做した
そして見られる死とは、自分の死ではなく、他人の死でしかあり得ない
これは欺瞞(ごまかし)である
バタイユは、他人の死を見るという転化は、人類学的には、同胞を衆人環視の前で殺害する供犠という宗教的儀礼によって実行されてきたと考えた
この考えをバタイユはヘーゲルから、正確にはマルクスとハイデガーを経由したコジェーヴのヘーゲル講義から学んでいる
バタイユの論文「ヘーゲル、死と供犠」と「ヘーゲル、人間と歴史」など
論者の論考の本題は、実はここからはじまる。なぜこのような死の不可能性とイマージュの生成が結びつくのだろうか?
イマージュ、捉えきれないものの視像
先述したように、人間が死という出来事に魅惑されながら、自分では自分の死を経験できないことを悟ったとき、その不能の認識は他人の死を見る供犠という形に転化される
この転化は根本的には、人間は死の不可能の経験を通して、自分では実現し得ない出来事に出会うという経験をした、ということだ
そのとき編み出された自分の死を他人の上に実現して眺めるという方法は、欺瞞だが不可避でもある
だがあり得ないものを見るというその欺瞞の中から、見ることの経験そのものとしてある視像が析出される
その視像はまず死の光景の視像であるほかなかった、ということだろう。この視像がイマージュというものだ
このように見つめていられないものを見つめ続ける中で、捉えきれないものの視像が形成される
イマージュとは、死を対象とする場合を離れた場合も、形こそ似ているとしてもけっして対象に結びつくことはなく、根本的に対象を持たないものである
そこから次のようなことが結果する。対象という支えを持たないということから、この視像はつねに不安定であり、そのために自分を確認しようとして、虚しいと知りながら繰り返してこの対象と考えたものを捉えようとし、なぞり、反復する。それはどこまでも揺れ動き続ける
それがイマージュというものに本来的に付随する性格であるこのような動きが、ラスコーの形象の始まりに彼が見た、描線の錯綜からシルエットが出現するという事態の核心にある
バタイユの思想的な履歴の初期に属する興味深い主張、イマージュに関するもう一つの主張がある
『ドキュマン』の批評辞典の一項目として書かれた1929年の「不定形」(アンフォルム)と題された短文である
「世界は何にも似ておらず、アンフォルムでしかない」
世界を捉えようとフォルムを与えようとするとしても、そのフォルムは決して対象に合致することがない。この場合のアンフォルムとはイマージュのことだと考えてよい
イマージュは実現されることのない対象を捉えようとする運動であり、そのために描線は反復されて錯綜し、その中から仮象としての形象が現れる
ばる.iconこれはまさに絵を描くという行為である
形象出現のプロセスとして捉えられるこの運動と死の作用と関係については、バタイユ自身は特に明白には記述していない。だがそれを窺わせる記述がないわけではない(論者はこの辺バタイユ自身はイマージュと死を結びつける問題を提出してはおらず、論者がそれを匂わせるさまざまな視点から、類推をまとめたものに過ぎないと述べている)
闇の中でたいまつあるいは獣脂ランプのゆらめく光に照らされながらのこの出現 は、両義的なものだったが、この両義性はさらに、それが必然的に目覚めさせる荒々しい反応と二重になっていた。すなわち、その出現は狩人の殺戮への情熱を呼びさます。生きている動物が出現したが、その動物は、あらかじめ死の見通しのうちに置かれていたのだ。野牛やシカは、まさに死ぬためこそ出現した。
バタイユ『神秘/芸術/科学』より
イマージュの生成は死の衝動と結ばれている。動物の形象はあらかじめ死の見通しのうちに置かれている
形象の生成の中にはあらかじめ死が作用しているということだ。形象は死の予感から生まれ、描かれた動物たちは死の方に運ばれる
この動物たちは、描く者たち――狩人たち――のうちに暴力と殺戮への情熱を呼び覚まし、狩りの獲物の豊富さを暗示する作用を持ち、付随的にではあれ、後に呪術的に使用されることを可能にした
イマージュと死の結びつきは、近代絵画を論じることの中にも現れる
『マネ』より、マネの仕事の中に死が浮上するのを感知する
マネ《オランピア》には、とくに死を思わせる形象は描かれていないのに、彼はほとんど唐突に「《オランピア》全体が犯罪あるいは死の光景とはっきりとは区別できない」と書きつける
『エロスの涙』では、エロティックな造形作品を先史時代から収集しながら、最後に刻み切りの刑に処される中国人の写真を、刑を見つめる男の拡大写真とともに掲載する。造型の作業は最後には死を見つめることに帰着する
イマージュと死に関するほかの領域の場合との比較
演劇
バタイユはすでに『内的体験』で「演劇化」という言葉を使い、〈生贄が屠られる瞬間に演劇化は最高の強度に達する〉と言っている
死に立ち会うことが演劇を可能にするのだ
〈人間は死のうと生きようと、直截的に死を認識することは出来ない〉〈死の認識は、ごまかしの手段、つまり見世物(スペクタクル)なしにはあり得ない〉
不可能な死は、それを身振りで模倣すること、つまり演技によって擬似的に経験されるほかない、ということでもある。これが演劇という芸術を開始させた
言語の領域
言語の領域でフィクションというあり方の中に現れる
言葉は、一半では対象を指し示す作用を持つが、この対象化は自然に対して距離を置くことに根拠を持っている
自然に対するこの拒否の底には死の忌避があって、そのために言葉は死に到達することが出来ないものとなり、ひいては言葉は本質的に何かを表現することができないことまで含意される
そのような言葉によって紡がれる物語は、フィクションとなるほかない
バタイユだと『マダム・エドワルダ』『聖なる神』『わが母』と『シャルロット・ダンジェルヴィル』に見ることが出来る
つまり死は不可能であって現実となることはなく、見られ、真似られ、語られるという欺瞞的な、けれども人間にとって不可避で、その故に本質的な様態によってしか経験されない。そこにイマージュ、スペクタクル、フィクションが生まれ、造形、演劇、物語という芸術の主要な三つの領域が形成された。バタイユは芸術に多大の関心を持ったが、その根底にはこの死を根底に置いた以上のような考えがある。
ばる.iconここら辺はすごく面白い
ところで②このプロセスは最後にシルエットの出現というところで完了するのだろうか
という問いに関しては、次に述べられる
イマージュが捉えられない不安定な視像と考えると、固定されることはないだろうから、完了することはないと思われる